とある蕎麦屋の物語

そば好きの祖父の影響を受け、幼い頃からそばが大好きだった。やがて高校生になると、そば好きが高じて、そば屋でアルバイトをするようになった。
2012年祖父の命日というめでたい日に、そばカレー屋をオープン。祖父を偲んで「風樹商店」と命名した。以来、幾多の困難なエピソードがあったが、夢を追い続けた。
風樹がオープンした初日の午後、一人のお客様が来店された。広告会社の方と思われるその男性は、「出汁の色が奇麗だね!」と言ってくれました。その時、自分の手打ちそばの可能性を感じたんです。
以来、風樹は新潟はもちろん、全国の皆様から愛され、成長していきました。そして、その経験からそば打ちへの思いが募り、体調も回復。今では、そばを打ち続けるだけでなく、その温かい笑顔でお客さまを喜ばせている。
数ヶ月後、広告代理店から「おたくの麺は手打ちです。これを世に広めたい」と言われました。
しかし、夏、そばの最盛期を迎えて体調を崩し、2週間ほど休業することになりました。そして、ついに店を閉め、資金難から夢をあきらめようとする。
現実には、生活していく上で、人の縁はもろいものです。壊れてしまったら、元に戻すのは難しい。当時は、そばは文化だと思う人が多かった。もうちょっと想像力とか自信とかあれば、違ったかもしれないね。